昨日、某動画サイトで自分にとっては衝撃的な内容のものを見た。
88年~89年に起きた、女子高生コンクリート詰め殺人事件を、風化させないために作られた事件の再現ビデオ。
(コンクリート、という映画の方ではない)
女子高生を41日間に渡って監禁・暴行し殺害。コンクリート詰めにして放置。
しかしその詳細はとてもおぞましく、その動画を見終わってからかなり引きずっている。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/m.htm
(↑時々利用させてもらっている日本での犯罪の内容などを扱ったサイト。事件の内容によっては過激なものもありますので、苦手な方はご注意ください。)
詳しくはここなど、ネットではいくらでも情報が入るのですぐに調べられると思います。
時々見にいくというのは、近年騒がれている死刑廃止や少年法改正について興味があり、過去の事件や判例などについて知りたかったこともあって、色々とネットで情報を手に入れるべくサイトをめぐってたりしていた・・・のだけど
(ただ、かなり気分が落ち込むので、間をおきつつ。だから時々になってしまう。)
この事件も名前だけは知っていた。
よく図書館でこの事件を扱った本を見かけていたのだけど、いずれ読もう・・・と思いつつなかなか読むことをしていなかった。
今回は別の事件について情報を探していたら辿りついて、それを動画サイトでちょっと検索かけてみよう・・・と思ったことで辿りついたのだけど。。。
被害者がうけた暴行が、書くのもおぞましいくらいひどすぎて見るのがつらかった。
ストレスを感じるくらい・・・しかし最後まで見るべき、と見ていった。
最後は号泣した。被害者の気持ちを考えると、そしてそれを知った家族のことを考えると、言葉が出ない。
それでも、そのビデオの内容より、実際の事件の方がもっと酷いことをされているというのだから・・・やりきれない。
事件当時加害者が未成年だったこともあり、犯した罪に対して刑罰が甘すぎる・・・ということが今でも語られているが。
事件を知ったときに、それも含めて考えるべきことはたくさんあると思う。
加害者に対する刑罰。
少年法が加害者を守り、軽い罰で社会復帰できてしまうというなら、今後どのように法を変えるのか。
被害者遺族に対するケア。
犯罪被害者が現状を訴えるために作ったサイトなどを拝見させてもらうが、またひどい衝撃を受けてへこんで帰ってくる。
大切な人が奪われて、そこから一生の苦しみとともに闘いが始まる一方で、加害者の人権が叫ばれ、加害者は刑務所で税金によって生活させ、被害者遺族にはなんの手当てもなくすべて自己負担。身も心もボロボロになっていく、という内容を目にする。
(かなり略して書いたが、内容はこれだけではない。精神的に遺族を追い詰めるようなことがたくさんある)
事件に巻き込まれないための安全の確保。
凶悪な事件に発展しないための周りの対応。
なぜこのような事件の加害者が生まれてしまうのか?
加害者の家族の責任、そしてケア。
(加害者家族にも責任がある、というのは事件のケースによって確かに、と思うこともあるけれど、責任を感じて自殺した、ということもあるからまた難しいと思う。
まだまだ考えることは複雑にたくさんあるだろうが。。。
自分はどうするべきなんだろう、と思う。
被害者がうけた恐怖や苦痛を考えると、涙が出てきた。
想像すればするほど、加害者への怒りが沸いてきて、しかしだからといってそれをどうすることもできず、やるせなくなってくる。
知らないことがたくさんあって、何が正しい、とか以前にどういう現状なのか、というのを把握するだけでも私にとっては大変だ。
それだけ、自分は無知だな。。。と思うのだけど。
知るたびに驚いて、また調べる。
けど、明確な答えなんて、なかなかでるもんじゃない。
恐ろしいと感じたのは、動画サイトや某掲示板などのコメントの内容。
被害者や遺族に対しての冒涜。
その一方で、加害者の個人情報の暴露。
いろんな事件があるけれど、どの事件に対してもそれはあったりする。
被害者や遺族に対して傷つけるようなことを平気で言えることが、それに対してまた面白可笑しく反応することが、理解できないというより恐ろしくて仕方がない。
コメント、というのは個人個人の感情(思ったこと)を書いているわけだから、ふざけた内容も、真剣に受け答えしているものも、みなそれぞれ書いた人を表していると思う。
まして、ネットでは自分の顔や姿は見えないわけだから、ますますその人自身の中に少なからずあるもの、であると思う。
被害者に対しての言葉も、加害者に対しての言葉も、その人の感情が素直に(捻じ曲がってるときもあるだろうが)現れていると思う。
私自身も心を強く締め付けられたので、こうやって日記に書いてしまっているのですが。
公正さという点で、罪に対しての罰は、感情抜きで判断すべき。
それはそうだけど、個人個人の人権が主張されればされるほど、それは個人個人の感情が強く主張される、という傾向じゃないのかなと思う。
いや、「人権」という言葉の意味からそれは違うのかもしれないけれど。
何かを行ったり、何かを訴えたりするときの動機が、実は個人の感情が根本にあるんじゃないかということで。
そうしたときに、それが正しい意見であろうと、間違った意見であろうと、感情論が高まれば日本人の性質上、流されてまとまってしまうのではないかと思う。
それが恐ろしい。
死刑賛成が多い(自分もそうなんだけど)中で、両方の意見を聞いて、冷静に物事を考える。
本当は考えること、が一番重要なんだと思う。
(といって何もしないのはいけないけど。。。
動機は感情でもいい。それでも考えたい。
悲しい事件があって、心を痛める。そして考える。
どうすれば、そんな事件がもう起こらない世の中になるのか。
どうすれば遺族が救われて、どうすれば加害者が減るのだろう。
家庭に問題がある、その家庭を生み出した社会環境は?
法が改正されたりなど、具体的な形になって現れるのは、少しずつでも国民が考えて動いてきたからだと思う。
自分自身に力はないけど、考えること、そして知ることをやめたくはない。
まだまだ知らないいろいろなことがあるなと、改めて思いました。
自分は考えるだけ考えて、なかなか行動できない奴なので、あまり大きいことはいえませんが。。。(充分言ってしまってるやも;
ブログに書いてみることで、ちょっとだけでも動きだそうかと思います。
自分の無知を晒しただけ・・・という気もしないでもないですが。。。
読み返せば脈絡のない・・・文章力も拙いものですが。
とりあえず訴えたいのは、考える材料として事件を知ってほしいです。
具体的な事件名を出すことに今まで抵抗があったのですが、詳細を知ってなにか言わずにいられなくなりました。
きっと、まだ自分は浅はかなことしかわかってないのだろうけど。。。
かなり長くなってきましたが、海外にも、日本にも、悲惨な事件は多数あります。
知らないだけでまだまだあるし、ひどい現状は何もこういう事件だけではなく色々な面であると思います。
知るきっかけがたくさんあればと思います。
私も、知らないことがホントに多い。。。
ネットによって色々知る機会が増えたことを有難く思います。
(まあネットは悪い面もけっこうありますが。。。
時々、こういう内容の日記をまた書こうと思います。
誰も読んでなくても、書くことに意味がある!・・・と思って。
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